なまけるりょうせいるい

ドイツと銃とバイクとドイツ刑法とアメリカについて語るウーパールーパー

キラキラドイツ留学ブログです、嘘です。好きなことだけ書きます。

語学を習得するという作業の本質的な側面

個人的な話にはなるが、筆者は英語とドイツ語がある程度運用することができる。

(英語は帰国子女経験から、ドイツ語は留学で身に着けた)

 

巷では語学学習のメリットについて説かれるものの、個人的に語学をやって何か役に立ったかというと、仕事でこそ多少使うようになったものの、それまでといえば海外製のゲームが遊べるとか海外のウェブサイトが見れるとか言ったそのような程度しか役に立たなかったと思う。(つまり実生活に大して役に立ってないのではないかと思っている)

 

一方、語学(特に英語)の効用についてはよく語られるものの、語学が習得する作業の本質的な意味については考察されることは少ないのではないかと思っている。

 

個人的な語学習得の作業の本質部分としては「言葉が持つ意味の核心部分に向き合い、ひたすらそれを照合する」という孤独でつらい作業なのではないかと考えている。

 

言語学上にプロトタイプ論という理論がある。それは、言葉の定義は「必要十分条件ではなく、言葉が持つイメージとどれだけ類似しているかによって運用される」という考えである。

たとえば、学術上「鳥」は「竜弓類に属する脊椎動物*1必要十分条件として定義されるであろうが、一般的な言葉の運用の面でいえば厳密な条件で定義されているわけではなく、あくまで「羽が生えた飛ぶふさふさな動物」というイメージになるということである。学術上ペンギンは間違いなく鳥であろうが、その予備知識がない人間がペンギンを見ても、鳥のイメージからかけ離れていてそれを鳥と認識する人はむしろ少数派なのではないだろうか。

自然言語は取捨選択であり、人間が扱える範囲の定義にするためにイメージによって外界を因数分解している。(完璧に目の前の事象をその他とありとあらゆる事象と区別できるのであれば、そんな言語は人間には複雑すぎて扱えない)

 

そして筆者は、このプロトタイプ論的な、「言葉が持つ意味のイメージをひたすらとらえる」ことが語学学習の本質ではないかと思う。

例えば、

日:「行く」

英:"go"

独:"gehen"

という単語がある。辞書や単語帳では、たぶんそれぞれ上記のように対応しているのであろうが、実際の運用としては異なるのではないか。

日:博物館に行った

英:I went to the museum 

独:Ich bin ins Museum gegangen*2

それぞれ日本語に対する訳としては以上のようになるだろうが、ドイツ語のgehenには「徒歩(圏内)で行く」という意味があり、日本語や英語が意味するところは異なってしまう。*3

一方

独:Das geht nicht.(それは通らない/うまくいかない/成立しない/不可能である)*4

を"go"を使って訳すことは不可能である。(「行く」なら二番目に限っては可)

さらに言えば、

英:go wrong(おかしくなる)を「行く」を使って訳すことは無理だが、ドイツ語であればfalsch gehenと言えなくはない。(いえなくはないだけ)

 

英語やドイツ語には単純な移動のほかに状態遷移の意味もあり(日本語にも「悪い方向に行く」のようにそれ自体はあることに注意)、ドイツ語の"gehen"には「通る」という意味もある(イメージができる)ということがわかるのではないか。*5

 

あくまでこれは一例であるが(かつ根拠あんまりないが)、語学学習とは単語帳や辞書で意味を確認した先にある「この単語やフレーズ、文法がどういうイメージを内包しているのか?」というのを母語やほかの第二言語と照合する作業の繰り返しであろう。そのために、ひたすら読んで書いて話して聞いて、どんな場面で使われているかを考え、意味とイメージをひねり出す、そんな孤独な作業なんだろうなと。(そしてそれこそが、巷で言われるニュアンスの確認なのではないか。)

 

ということで、語学には練習あるのみなのでなまけものの筆者は一向に語学が上達しない、そんなオチです。

 

*1:あくまでたとえなのでwikipediaから引っ張っただけです

*2:bin=sein動詞一人称単数現在,ins=in das、gegangen=gehenの過去分詞系、どう考えてもIch habe das Museum besuchtが自然な気がするが

*3:乗り物ならfahrenを使用する

*4:Das=That, geht=gehenの3人称単数現在形

*5:ちなみに蛇足だが、日本語や英語と違いドイツ語では動詞単体で方向を表すことがほぼ皆無であり、分離動詞などの形をとって方向を示すため日本語や英語では考えられない真逆の語のイメージを内包していることがある。例としては下がるabsteigenと上がるansteigenなど。