なまけるりょうせいるい

ドイツと銃とバイクとドイツ刑法とアメリカについて語るウーパールーパー

キラキラドイツ留学ブログです、嘘です。好きなことだけ書きます。

「心がない」ってよく言われる話

「心がない」ってよく言われる。

 

正直自分でもこころがないなあと思うことは多々ある。

皮肉抜きで日本の義理や人情によって何か行動を起こした結果、結果的に最初から論理的な行動をやっていた方が良かったというような場面とかに出くわすとうーんってなるわけですね。君は己の感情を優先したいのか、人を救いたいのか(被害者を減らしたいのか)どちらなんだと。やはり合理主義・科学・(修正)資本主義・論理的体系に支えられた法こそが最高なんや!っていう思考からこころを省きまくってる類の人間なんだなあと思ってます。

まあそんなんだからお気持ちで政策とか法とかに文句をつける政治家とか政治勢力を見ると正直アレなのか?って思うんですね。(本当に心がない)

 

法、特に刑法なんかでも判例によっては凄惨だったりひどい事例は結構あるわけで、普通の法学部生だと授業で取り上げられてそういうのを読むと被害者などにめっちゃ感情移入するらしいんですね。ぼくは全くしないので次の瞬間判例の論理について考え始めるけど。(本当にこころがない)

さっきもチケット転売に憤る友人にチケット転売の正当性を長々と語るという心ない行為をしてしまったし。

 

でもまあ、昔からこういうわけではなかったんですよね。子供のころから小中学生の時には貧困を目にして社会主義にかぶれていた時代もあり、小学生の時には貧困や紛争で命を落としている子供がいることに素直に同情して本当に悲しんでたんだよね。

でもまあ成長して、やはり自分の気持ちから出発するより合理的に考える方がはるかに人を救い、人を幸せにできると確信した結果、やはり合理主義にそまったようななんなのか。あと最近、人間の感情も結局脳内物質のたまものということで化学によっているなと感じ、やはり感情も大事だなあってことで、感情も合理性に組み込みました。ということでぼくの合理主義は多くの人を幸せにしたいという気持ちから来てるので大目に見てください(傲慢)