なまけるりょうせいるい

ドイツと銃とバイクとドイツ刑法とアメリカについて語るウーパールーパー

キラキラドイツ留学ブログです、嘘です。好きなことだけ書きます。

「地獄への道は善意で舗装されている」

地獄への道は善意で舗装されている

英語で言えば、"The way to hell is paved with good intentions."

本来は「善行を思うだけじゃ意味なくて、きちんと行動に移さないと天国に行けないよ」みたいな意味らしい。

もっとも僕は、「良かれと思った行動が裏目に出た」という後世の解釈のほうが好きである。

 

人間は、情動によりいとも簡単にこのような状態に陥る。

例えば、凶悪な事件が報道されるたび、際限のない厳罰化を望む人間がいる。彼らはおそらくさぞかし強い正義感と共感性を持っているのだろう。しかしながら無批判でそれが適用されれば、犯罪の凶悪化や数の増加といったむしろ真逆の効果をもたらすだろう。

感情で動くな、といいたいわけではない。単に、己の正義感と善意のみをよりどころにして己の行動を正当化するような人間は、損得勘定の身で動く反社会的なサイコパスといわれる類の人間よりはるかに危険であるんだろうなあと思っただけである。

損得勘定で動く人間はいい。自分のやっていることが不法か合法か、社会的に非難されるかそうでないかがまだわかる。彼らは刑法などの制裁に対して行動抑制が効きやすく、逆に利益に敏感だろうし、適切な制度設計でその行動をコントロールしやすいだろう。

 

そう考えると、訴訟を吹っ掛け金銭的な利益を狙う米国のクレーマーと違い、日本のクレーマーが厄介なのは、損得勘定で動かないからではないだろうか。ストレス発散などでいちゃもんをつけている場合が多数だろうが、中には正義感から告発していると思い込んでいるクレーマーもいる。

正義感の場合、金銭的負担や損得勘定は最初からそもそも考慮していないことが多い。たいてい戦略的で論理的なゴールはなく、自分の正しさと善意を疑わないので適当なところで切り上げたり見切りをつけることも知らない。

よく言われる損得勘定で行うナポレオン出現までの欧州の戦争は止められるが、国民軍と徴兵制、民主主義の概念が広まった後の「正義」の戦争は止められないのもそういうことなんだろうなあと。

 

もちろん人間の感情や本能そのものが国家や経済システムとして組み込まれる(ナショナリズム)場合もあるし、そういう基本的に人間の感情を自然に無理なく利用するシステムを構築していければもっと平和になるんだろうなあと。(なおナショナリズムが引き起こした悲劇

 

書いてて思ったけど、両生類の視点が人間じゃないしこころがないので次は心がある文章書きます(無理)。