なまけるりょうせいるい

ドイツと銃とバイクとドイツ刑法とアメリカについて語るウーパールーパー

キラキラドイツ留学ブログです、嘘です。好きなことだけ書きます。

「この町の主要産業は?」「知らん、チョコじゃね?」

自分 "Was ist die Hauptindustrie in dieser Stadt?"(このまちの主要産業は何よ)
ドイツ人 "Ich weiß nicht, vielleicht Schokolade"(知らん、チョコじゃね)

 

留学先である旧東ドイツのとある中都市で何度も繰り返した問いだったが、満足な答えは得られなかった。ドイツで人口20数万を誇る第30位(日本で言うと板橋ぐらい)ぐらいという微妙な都市の規模でありながら町の展望台に上っても工場とか産業らしい産業が見当たらないのである。

結論から言えば、これは予測していたことであった。かつて社会主義陣営の工業国として曲がりなりにも力をつけていた東ドイツではあるが、不適切な統一処理により工業は壊滅した。

東西ドイツ統一時、東西ドイツでは違った通貨が使われていたため、当然オストマルク(東ドイツマルク)とドイツマルク(西ドイツの通貨)の統合をどう進めるかという問題が起こった。

 

実勢レートはオストマルク:西ドイツマルクが10:1(つまり東ドイツマルクの価値は額面にすれば西の10分の1)だと以前本で読んだが、旧東ドイツ出身でベルリンの壁崩壊も経験した先生によればさらに悪かったらしく、闇レートでは20:1というレートでさえあったらしい。

それを当時のコール首相は一人4000マルクまでは1:1で交換し、それ以上も割高なレートで交換することを発表した。当然東ドイツ国民は喜んだらしい。

 

ただ、先生に言わせれば「目先の利益に飛びつき、東ドイツ経済を破壊した。」

 

というのも、実勢レートより割高というレベルではない高値で買い取られたことにより、東ドイツの通貨価値を一瞬にして引き上げてしまい、物価の高騰を招いたおかげで安い価格だけが取り柄であった東ドイツの製品は国際競争力を一瞬にして失ったのである。(旧式の車、トラバントを数十年技術革新なしに作り続けるような国である。当然技術力は低い)

一夜にして脱工業化。ようこそサービス産業化。

 

普通このような通貨価値の上昇による第二次産業の衰退は国家の規模に比して莫大な量の石油などの天然資源が出るなどのことがないとあり得ない(オランダ病など)が、東ドイツというより首相コールはそれを通貨交換でやってのけたのである。

当然東ドイツの工業は壊滅的な打撃を受け、リストラが横行。今も旧東ドイツ地域の物価と賃金は西に比べて割安で、失業率も西に比べて高止まりしている。

 

一方の西はというと、実態に見合わないレートでオストマルクとドイツマルクを交換したことと、東側へのインフラ投資により、資本が流出して長期停滞を招いて不満が出たとか。

今度また詳しく書くかもしれないけれども、こんな感じの不十分な統一政策により就労機会やキャリア形成の面でも旧東ドイツ国民は不利な立場に置かれ、これが旧東のAfD(極右政党)の支持率の高さにもつながってるとかかんとか。

 

留学生の立場からすれば物価が安いのはいいんだけれどね。