なまけるりょうせいるい

ドイツと銃とバイクとドイツ刑法とアメリカについて語るウーパールーパー

キラキラドイツ留学ブログです、嘘です。好きなことだけ書きます。

友人に「ガツガツさが無くなったね」って言われた話

「あきらめたように見える」「昔のようながつがつさが無くなった」って高校の久々に会った親友に言われた。

 

確かに中高では、世の中への不満と、この国がどうすればよくなるかをずっと考えていたし、実際彼ともものすごい語り合った。

少子化、失われた20年、格差、中国の台頭、過労死問題など、危機感はものすごく持っていて、ない頭を振り絞って考えていた。そのころを見ていた親友からすれば、ぼくが考えることをやめ、「枯れて」精彩を欠いたように見えるのもしょうがないだろう。

 

いつからそうなってしまったのだろう。おそらく、一つ目の要因は大学に入っていろいろなことを学び、基本的にこれらの問題がどうしようもないことを知ってしまったことが大きいのだろう。

例えば財政問題と格差。イェスタ・エスピン・アンデルセンという学者が唱えた福祉レジーム論では、脱工業化によりサービス業に産業の中心が移行した福祉国家では、サービス業の生産性向上が第二次産業に比べて困難なことから、次の3つは両立できないとされた。「小さい格差」「低い失業率」「財政均衡=低い税率」。(例えば西ヨーロッパは失業率を犠牲に、アメリカは格差を犠牲に、北欧は財政均衡を犠牲にしている)

少子化も、経済発展をした国では基本的に例外なく出生率が下がること、そして将来世界規模で出生率が2に近づいていくこと。

マスコミではお手本にされるドイツ経済復活の理由が、労働者の賃金を切り下げた(つまり日本で言う非正規(Minijob)を増やした)ことによるもの。
どれもこれも自分にとっては説得力がありすぎ、しかし同時に元も子もない研究結果であった。

 

二つ目は、留学がそれに決定的な一撃となったこと。いろんな国を見たが、これほどまでにやばいといわれる日本と似たり寄ったりか、少なくとも素人目には日本より悪く見えたこと。日本では絶賛されるヨーロッパ諸国の公共サービスや状況を見るにつけ、世界に楽園はないなとうすうす気づいでいたのをまざまざと見せつけられた。

 

ドイツ語が読めることにより統計データなどに手を出せば、偏差値をなくして、大学を無償化したところで「結局大卒の親(ドイツにおいては高給取りなことが大半)から生まれた子供が大学進学すること(ドイツではギムナジウムという中高一貫校に行かなければ基本的に総合大学(=エリートコース)には進学できない)」という残酷な現実を知った。ちなみにドイツには塾(家庭教師はあるらしいは)もないので、収入格差そのものよりも親の文化資本や遺伝といった要因が大きいと考えられる。

外国に行けば解があるのではないかという現実逃避した願望でさえ打ち砕かれた。

そして、自分には問題点を把握できたとしても、それを解決する案を思いつく頭はないと思い知らされた(もしかしたら誰にもないかもしれないけど)。

 

これを大人になったというのか、それとも魅力がなくなったというのか。ただひとつわかることは大学生が抱く感情としてはあまり適切でないのだろうなあ。